2023年 11月 21日
山田一雄先生について |
私の所属する市民オーケストラが近々チャイコフスキーの『悲愴』を演奏することになり、現在、本番に向けて最後の仕上げに取り組んでいるところだ。
『悲愴』と言えば、私にとっては2度目の挑戦ということになる。初回は大学2年のころ、まだ楽器を手にして1年足らずのころだった。もちろん弾けるわけがない。
今の若い人は知らないようだが、当時の学生オケ用語に「霞む」というのがあって、要するに「弾けない箇所は無理して音を出さず、弾いている格好だけする。」という意味だ。
初心者の団員は先輩に「お前、こことこことここはかすんでいろ。」と指示される。弾けてる皆さんに迷惑をかけちゃいけないよ、ということだ。
いやぁ、あの時の悲愴、終始霞みっぱなしだったなぁ。当然だけど。
そのころ、私の所属する大学オケでは定期演奏会のために客演指揮者として山田一雄先生を招くことがよくあった。
今では信じられないようなビッグネームだが、当時は中央の有名演奏家たちが地方の学生オケを育成するために協力してくださることはそれほど珍しいことではなかったようだ。悲愴も山田先生が指揮してくださることになった。
テレビでしか見たことのない指揮者の実物が目の前に。
あるとき、リハーサルの前半が終了し、何かの用事で楽器庫に入ると、無人だと思った狭く薄暗い部屋の中でまさにその山田先生が着替えをなさっている真っ最中だった。(なぜ着替えをされていたのか、今から思うとリハーサル前半で汗をびっしょりかかれたからだろう。当時はエアコンなんてなかったし。)
目と目が合い、一瞬空気が凍り付く。
お互いに「どうも…。」とあいさつをする。
あのときのどうにもばつの悪い感覚は未だに忘れられない。
私にとっては初めて本物のマエストロという存在に指導を受けていたわけだが、残念なことにそれがどんなに貴重な体験なのか、音楽歴一年足らずの若造にはまったく実感できない。猫に小判とはよく言ったものだ。なにをどう学んだらいいのかわからないのだ。
なぜかしゃべり方を真似たりした。
当時の文化人にはしゃべり方が独特というか、いわゆる「おねえ言葉」に近い人が多くいて、どういうわけかそれがまた育ちの良さや教養の深さといったものを醸し出していたのだが、それを面白がって真似たりしていた。子供だね。
それから山田先生は楽譜に込められた作曲家の意図を小柄なお体をフルに使って奏者に伝えようとなさる。それこそ汗だくになって。
でもそれは、機械的に拍子を刻むタイプの指揮じゃないので、オケ2年目の私には全然伝わらない。
「あんな棒じゃ弾けねえよ!」なんて周囲に吹聴していた。何を偉そうに!
当時習っていたチェロの先生(丹野弥之助氏)にまでそのことをうったえた。
すると先生、「いや、山田さんの指揮は一見わかりにくいが、実は肘を効果的に使っていたりして、慣れると非常にわかりやすいんだ。」とおっしゃる。
ふーん、そういうものか…。
わかったような、わからなかったような、いずれにせよ当時の私にはもったいない話だったということだ。
今回の悲愴、そんな私にとっては罪滅ぼしみたいなものですよ。
この演奏、山田先生に捧げるつもりで精いっぱい弾かせていただきます!
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by domani2015
| 2023-11-21 20:58
| チェロ
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